STAY SMALL 【実務的応用編】

【第一の課題】

 小さく弾力性があって失敗しない皮革製品を作るには、どうしたらいいのか。
仕事の質を重んじ顧客を増やしていった会社に勤めていたが、ある時から会社は質より量を求め始めた。顧客がリピートすることなく減り、この仕事は自分に向いていないと考え退職するが、その後退職した私の事を探して新しい勤め先へ仕事の依頼が舞い込んだ。
独立して自分が目指す小さな会社を作れば自分の目的と仕事を一致させることができると気づいた。独立すればすべて解決する、それが確実に前進する唯一の道だというメッセージを絶えず受け取る時代だが、これがすべての人にとっていちばんの選択肢だと思わない。
独立して働いていれば、給料、福利厚生、研修を処理してくれる人事部はない。
お金の出し入を管理したり、売掛金を回収してくれる経理部もない。
お金を稼ぐメインの仕事に加えて他の作業もすべて自分でやらなければならないのだ。

 メインとなる仕事(デザイン・開発)に割く時間は半分かそれより少ない。他の時間は販売ルートの開拓研究と経営にあてている。独立して働くには、エゴと目的の両方が同じだけ求められる。独立した理由は働いていた会社よりもうまく顧客との関係を育むことができると思ったからだ。そしてここで言う顧客はデザイン会社のプロデューサーを始めデザイナーたちである。またデザイナーたちのデッサンを私が製品化した暁には購入する人々が顧客として待っている。つまり私は国内外の製造に係わる資材メーカーから材料を仕入れて製品化するために私の持っているスキルをすべて提供して具現化するということだ。この仕事がフリーランスとして船をこぎ始めた最初の目的になった。

 専門スキルでいちばんになる事ではなく、(そもそもそんなことが可能なのかわからない)顧客との関係に焦点を合わせたビジネスを経営することが目的になったのだ。
自分ならもっとうまくできるという類のエゴだ。うまくできるかどうかは、どうでもいいと思っていた李するなら独立する意味はない。ただ苦労するだけだ。お金があって会社を設立しただ代表取締役という「名刺」が欲しい人はそれはそれで良いと思うが、スキルがない人は現場に口出しせず、高度なスキルを持った現場のスタッフに実務は任せて社長は経営に専念し中長期的な経営課題を周知徹底し、従業員が走り続けられる持続可能なスピードに合わせて、課題を与えモチベーションを維持するだけでよい、私はと考える。

 2020年に始まったコロナ禍症候群によりインバウンドが消え、消費低迷する百貨店販売やライセンスブランドのうさん臭さに築き始めた成熟に達する速度が遅い日本人消費者の気づきも消費低迷に拍車をかけている。要は、良かった時代にすべき準備を怠り今更新しい取り組みをはじめる気にならない企業も存在するという話で、もちろんそうでない皮革製品製造企業は苦戦しながらも製品化した品物を直営店であったり、オンラインで販売できている。

 目的が必要なのは、ずっとそこにあって、長期的にあなたを導いてくれる北極星がなければならないからだ。すぐにお金持ちになることやビジネスの世界で有名になることは長期的なモチベーションにはならない。お金持を稼いだり有名になったりしたいのなら、皮革製品を職人さん達と作って販売するより、もっと簡単な方法がほかにある。


 どうして独立して働きたいのか。たいへんな時や思っていたよりも時間がかかる時に、それでも続けようと思えるのはなぜか。会社経営にともなう日々の雑事に追われながらも、それをつづける価値をどこに見いだすのか。自分に合わないと感じた仕事はや顧客は断って収入を減らす選択ができるのはうれしい。上から仕事を回されるのではなく次の仕事を自分で選べるのもうれしい。土曜日に働いて水曜日に散歩いて一日過ごすのもうれしい。この選択の自由が私の北極星だ。そして、独立を決定した最大の理由は体力に自信があったからだ。個人事業であっても企業であっても責任者となると結果を残さなければ収入が途絶える。有給休暇など存在しないので、風邪をひいて休んだら最後、路頭に迷うことになる。

 何につけても、最初は大変だ。いずれにせよお金は必要だ。したがって、一番の顧客は必ずしも一番望ましい顧客ではなく、いまここにいてお金を払ってくれる顧客だという時もある。それでも、選択の自由という目的があるおかげで、困難な状況でも前に進むことができる。独立することが最終目的とはかぎらない。小さな会社自体が独立的な仕事をする環境である場合もある。所属する組織の中で専門スキルを磨き、時にはリーダー、時には仕事仲間として共同で仕事を進める弾力的で素晴らしいキャリアを築くのがあなたの道かもしれない。ビジネスの成功や楽しみに、みんながとるべき唯一の道があるとは思えない。

【解決案】

 

【自分のスキルを使って人の手助けをする

 顧客もファンもいない状態で明日、ゼロからビジネスをはじめようとしよう。どのようにして、関心を持ってくれる人を集めればいいのだろうか。どうすれば顧客を惹きつけることができるのか。多くの人が、このような状態からビジネスをはじめるらしい。自分の持っているスキルを踏まえて、そのスキルを探している人や、すでにその手のスキルを使っている人の話を聞くとこから始める。どうやってそのスキルを探しているのか、そのスキルを使って何か不快な思いをしたことがあるのなら何が問題だったか。新しいプロジェクトを始める前に知っていたらよいことは何か。
 無料で提供するこの手の手助けは一ケ月も時間がかかるわけではなければ、丸々の仕事をば占めるわけでもない。メールでやり取りしたり、対面、電話、ズームミーティングで会話するだけだ。ようするに、無料のコンサルティングやプロジェクト計画セッションを提供するのである。知識を提供する相手をひとり見つけるところから始める。それからまたひとり見つけて出来るだけ多くの人と話はみんなが抱えている問題や理解していない点についての傾向がはっきり見えてくるまでそれを続ける。

【それによって得られること】

 ふたつのことが可能になるらしい。
第一に私が一緒に仕事をしたい種類の人たちと(お金、見返りを求めることなく)知識を共有する機会ができる。第二に顧客になる可能性のある人が何を求めていて何に困っているのか、どうすれば効果的にコミュニケーションをとって問題解決を手助けできるかがわかる。
ものを売りはじめるずっと前からなんにかの手助けをして人と関係を築く。販促のためやものを売るために関係を築くわけではない。関係を築いて育むのは、その人たちから学び続けるためである。これは、互いにとって利益になる関係だ。彼らは私から手助けを得て、わたしは彼らの知識を得る。この聞き取り調査はミニ・コンサルティングはどこか別のところで(おそらくフルタイムで)働きながら行う。これはとても重要なことだ。持続的に生計を立てられるように実行に移せるアイデアかどうか、まだわからないからだ。
そこから道はいくつかに分かれる。

具体的な自分流のやり方を決断できるか

 ここからは完全に私の個人的な計画だ。2009年に開拓したタイ国のサハグループの皮革製品製造企業を始め、個人経営に近い中小企業の皮革製品製造販売会社の事業後継者の一人であるタイ人をはじめ、サムトプラカン地区のタンナーから最優秀タンナーを絞り込み私の計画を伝えプロジェクトに参加してもらうことだ。デザイン会社のプロデューサーの仕事を行うためにリサーチしたバンコク在住のフリーランスは使い古した自動車のタイヤ、着古した革ジャンなどを素材としてリサイクルするビジネスで製品化と商品販売まで実現した。

 2009年に行ったタイ国ビジネスミッションで大変お世話になったタイ国大使館商務部との関係も続けてきた甲斐があり、2021年にタイ国の宝飾品オンライン商談会で宝飾製造企業と話し合い、私の基本プランを説明することができた。2020年の緊急事態宣言による自宅勤務となった頃から、週末に情報収集をし始め、大使館からもらった宝飾品製造企業リストから100社以上にメールを送り、返信が届いた8社とコミュニケーションを続けた結果、今回オンライン商談が実現した大手企業が私の大事なサプライヤーリストに含まれる1社であることを知った時には心底うれしかった。日本では老舗というのだろう。その宝飾品製造会社は2020時点で操業127年。前述のサハグループの工場と私の大切なローカルスタッフの自宅から車で30分という近距離にあり、ビジネスが現実になればいつでも行き来できる近い関係であることも後から知った。革の鞣し工場は排水問題があるためサムトプラカン地区に集約されていて、バンコク市内からは車で60分はかかる。これはいたし方ない。

 私には大勢の社員を雇って会社を登記し売り上げを目指す気持ちは最初からない。STAY SMALLが基本であり、最低限の収入を持っているフリーランス仲間を募り、それぞれのスキルを活かした上で売り上げの半分は次の仕入れに必要なお金として再投資に回し、残りを参加メンバーでそれぞれの仕事の貢献度によって分け合うのが基本プランである。日本からタイ国に海外送金することも昔に比べると容易・安価になったことは助かる。Western Union Bankに登録し数万円程度の送金は手数料@2,000で行えるとタイ国の宝飾品製造会社のマネージャーから教えてもらい送金手続きは整った。現地パートナー二名のうち特に管理面を任せているキティに一元管理ほ任せ、必要に応じて資材メーカーからの仕入れ代金を支払ったり、日本に郵送してもらう運賃の支払いをしてもらう事になった。もちろん、キティに頼む雑多な仕事の手数料としても適正なギャラを支払うことになった。

 人員体制として私とタイ人2人のたった3人であるが、私たちのスキルは製品を作るクラフトマンとしてではなく、ビジネスプランを創出することであると三者のオンラインミーティングで確認した。工場には作る事を専門とし、手先の器用な人々が大勢待機している。私たちはその人たちに製品を作る仕事を創出するのが使命であると。

 もう一人の彼はOTOPというタイ国が世界に向けて発信する「一村一品」プロジェクトにデザイナーとして参加していることを今回のオンラインミーティングで初めて知った。皆私より若く精力的に活躍しているのでたとも頼もしい。

 別のページで「地産地消」について簡単に触れたが、元々は2009年のタイ国ビジネスミッションのテーマであった、海外市場への日本製品の販売会社であった。東京のみならず、全国に皮革製品というと固いイメージだが、日本にそれなりに長い歴史のある副産物としての鞣した革で様々な製品を作って生活に利用する市場があり、様々な分野で製造業を営む会社がたくさん存在する。それらの企業の経営者に直接私の考えるビジネスプランを説明し、タイ国で催事販売を行って販売する当初のプロジェクトをアフター・コロナに仕掛ける準備を開始したと思って頂ければほぼ正しい。

 タイ国の百貨店での催事条件まだは確認した。革の鞣し業が盛んで皮革製品が日常品になっているタイ国では日本の皮革製品といういつのくくりは良い響きであるらしいが、タイ製品のコストは安く、価格勝負になると掛け率による手数料もあるので利益を生むことは至難の業であると考えた。

 100万円の売上を作る為に、国内の製造会社から仕入れ、物流費を支払い、タイ国で輸入関税を支払うと日本の小売価格に対して140%位になってしまう。また、何が売れるかわからないで、何カートンも輸出するのは怖い。売れなければ再輸入し、再検品し元の状態でなければ誰かが責任を取って買い取らなければならなくなることくらいはすぐにわかる。100万円売上であっても百貨店へ場所代を35万円~40万円払うことは確認できた。私は香港のA.P.L.F.やイタリアのMIPELなどにクライアントの出展で直接携わった経験があり、特注の什器パネルを一から作ったこともあるので、どれだけお金がかかるかは確実に把握している。

 現在のところ最も現実的に出来そうなのは、現地に住む日本人駐在員を中心に、多国籍企業に勤める日本人の紹介で所謂外国人駐在員を対象に日本製品を紹介するパーティーを開催するプランである。その為には外務省所管の現地の日本人会を通じ、または現地の日本語タブロイド紙、またはオンライン新聞等で広告する必要があることくらいは分かる。コロナ禍で分かったことは帰りたくても日本に帰る事が出来ない日本人が世界中にたくさんいること。私自身もシンガポールで多少不自由な4年間を過ごした経験があるのでその気持ちは理解できる。最初は土日に適当なレストランを貸し切って100人くらいの駐在員かせ事前参加予約を頂いて、そのうち40人が人が来店し、そのう20人がが製品を購入してくれて、売り上げが50万円くらいが現実的ではないかと想像している。

 事前に人気投票を行ってあらかじめ購入予定まで押さえらると売上金額がより現実的なものになる。初回は多く利益を出すことは求めず、多少不便な海外生活をしている日本人に日本を感じてもらう「パーティー&皮革製品催事販売」が出来れば合格としよう。レストラン貸し切りと言っても予算の問題と集客の目途が立たない場合は、レストランのスタッフにお好み焼き、焼きそば、たこ焼き、ビール飲み放題になってしまうかも知れない。あまり後の事の心配ばかりしていても仕方ないので、それも選択肢の一つとしよう。

 日本の製造企業には製造コストと利益を含めた代金を支払い、残ったお金で旅費を含む物流費、食費などを捻出し、赤字なならなければ合格という目標である。欲しい品物が分かり、適正価格で販売できる、そのような催事を年に二回程度実演するとそれを楽しみにする日本人がいるとしたら成功とするのだ。

 タイ国は一つのお試しとし、これが成功したら旅費、物流費の安いアジアの近隣諸国に広げる計画。いきなりアメリカやヨーロッパに行ったりはしないが、その国でやる気のある人が、日本人でも現地人でも良いのであるが、いたら話は進めれる。つまり、成功パターンが現実に起きるかどうかの実験である。最大の成功としては、100万円の売上を達成した時の食費が15万円以内に収まることだ。掛け率としては85%なのでこれは日本国内の催事販売でも実現の難しいとても良い水準だ。

 タイ国の場合物価指数が日本の半分またはそれ以下なので15万円の食費で何が出せるかなどについてはキティのリサーチで調べることになる。