海外に住む日本人の為に・・・

 私自身も1991年~1995年の4年間、当時勤めていた会社の特命プロジェクトでシンガポールに小さな「皮革製バッグ・財布」のアトリエを立ち上げる仕事を経験しました。まだ29歳と若く、怖いもの知らずでした。仕事面ではバッグの技術者、財布の技術者が工場立ち上げで全面的に協力してくださり、私は人材採用、機械設備投資計画、家賃交渉などの経営面を担当しました。仕事はなんとかなるものですが、異国の生活面はとても慣れないものでしした。それが今回の「海外に住む日本人の為に」を考えるきっかけとなっています。日本に住む外国人の人々にも祖国を感じられる製品の開発を進めています。

 今はどうなっているか分かりませんが、当時はホテルニューオータニと隣接する大丸百貨店が日本を感じる唯一の場所でした。紀伊国屋で日本の本を買い、メガネの三城で眼鏡を作り、大丸で日本的な食材を買い一通りの生活は出来ていました。シンガポールはマレーシアの一部が独立した淡路島とほぼ同じ面積の小さな国です。中国から南下した「客家」(発音:ハッカー)の一人であったリークアンユー当時首相が切り開いた国です。マレーシアから水道を引いてもらい水は購入、野菜や食肉もマレーシアから購入。食料自給率は限りなくゼロ。東京の銀座通りにあたる「オーチャード通り」には一流百貨店がありいわゆるブランド品を見つけることは容易でした。

 現在はコロナ禍によって外国で亡くなる海外からの移住者、駐在員など日本人を含めて辛い生活をしているとメディアを通じて知ることが出来ました。つい先日も東京の老舗皮革財布製造企業に旦那さんのビジネスの関係でアメリカに引っ越すことになった奥様がバイク仲間から頂いた送別品のお返しに特別な品物でいつも身近に使ってもらえるものを贈りたいと考え、カスタマイズできる財布を探していたそうです。その奥様もバイクのライダーです。アメリカに行くと当分帰国できないので日本を感じるお店で店員さんと話をして品物を購入することは出来なくなるだろうと少し寂し気な顔をされていたそうです。

 「そうだ、アメリカへ行こう」東京には皮革製品を製造する企業がたくさんあります。バッグ、靴、財布。、ベルト。私は靴やベルトなどのサイズ製品の商売に携わったことがないのですが、「私の仕事は製品を企画したり作るこどてはない」製造分野は得意な人たちに任せて
私は販売ルートを作ることに専念しようと考えました。

 「そうだ、シンガポールにも行こう」オーチャードの一流ブランド品は良しとして別格で良いのですが、浅草や革職人の息を感じられる「いっこいっこ」手作りの皮革製品を現地の日本人に見て頂きたい。

 「そうだ、タイにも行こう」タイには製造拠点の仲間が大勢いるし、日本からもっていく製品とタイで生産した製品を両方見比べて、それぞれのモノ作りの特徴をお話して、気に入った方を使っていただくのはどうかな。