タイと日本の関係

 タイ国の人々は仏教を中心とした考え方をもち、大多数の日本人が神道と仏教を信じる感覚と似たものを感じます。国家間レベルでもODA (政府開発援助)通じた国際協力も行われています。1996年~2005年の間日本の海外協力隊”JICA” (国際協力事業団)の活動と共にスワンナブーム空港建設を支援し2006年9月28日に完成しました。空港名は元ラマ9世、プミポン国王が命名しました。その名前はサンスクリット語で黄金の土地という意味が込められています。

 一方、タイ国政府観光庁の支援によるタイフェスティバルが仙台、東京、静岡、大阪、福岡で開催され、民間レベルでの交流が盛んです。オートップ=OTOP(One Tambo One Product)というタイの国の76県7255の村が登録し「村おこしの特産物」の販売やタイ文化、タイフードを通してタイが好きな日本人が多く参加しています。

歴史的背景はとても興味深いです。鎌倉時代から室町時代にタイとの国交が始まったと伝えられています。鎌倉時代の1274年と1281年の2回「蒙古襲来」(モンゴルが日本に攻めてきた)との戦いに疲弊した御家人が鎌倉幕府に反旗を翻したことも室町時代へ変わる理由の一つと伝えられています。わかりやすく表現すると、

6代将軍 源 宗尊(むねたか)親王の息子が7代将軍 源 惟康(これやす)親王に将軍という地位を継承したそうです。
⇒現代の政治家が地盤となる土地の利権を譲るために子供に選挙区を継承するのに似ていますね。

将軍は号令をかけているだけで、僕ら御家人は将軍の家人というけど、かっこよく言えば武家の棟梁の家人らしいけど、結局モンゴルが攻めてきたから「戦ってこい」とか、「なんとかせい」と命令するだけやん。

家人と言うたら家族みたいやけど、結局家来(けらい)やん。蒙古襲来は「神風」が吹いてモンゴルが撤退したと言われてるけど、台風が来そうなので早めにモンゴルに帰国したちゅう話もあるし、将軍一族が都合よく流布した話ちゃうのん。「もう戦うのもしんどいわ」

将軍の動きを誰かとめてくれへんかな。「後醍醐天皇なんとななりませんか」御家人たちが後醍醐天皇を担いで体制崩ししました。でも詰めが甘かったんやろね、クーデターがばれて後醍醐天皇き島流し。

でもね、後醍醐天皇のすごいとこは「島から脱出」してんで。御家人のひとりの足利尊氏が後醍醐天皇の味方になり、将軍派の新田義貞と政権の取り合いになってんて。

室町時代から始まったタイとの国交

1592年に朱印船貿易が始まりました。それはタイの人が船に乗って日本に来たという話です。

タイは隣国のビルマ(現在のミャンマー)といつももめていて、地続きというのは本当に面倒な領土問題を起こすのですね。その点日本はタイから離れているので、領土問題はなく、遠くから来てくれたタイの人と仲良くなり、日本の皇室とタイの王室という割と似た点や、インドから伝わった仏教と日本の神道と仏教の融合したおおらかな考え方で、お互いを認め合ういい感じだったようです。現代の皇室と王室のつながりの始まりだと思います。